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デザイン都市ソウルで開かれるスタートアップの商談舞台
韓国・ソウル市は6日、世界のスタートアップや投資家が集まるイベント「トライ・エブリシング2026」を、9日から10日まで東大門デザインプラザ(DDP)で開催すると発表した。今回の主題は、人工知能(AI)が産業や企業経営をどう変えるのか、そして新しい技術を実際の投資や事業提携、海外進出へどう結びつけるかだ。会場では国際会議、先端技術の展示、一般来場者向けの体験企画に加え、スタートアップと投資家、大企業、創業支援機関をつなぐ一対一の面談が行われる。
会場となるDDPは、東大門市場に近いソウル中心部の大型複合文化施設で、流線形の外観でも知られる。ファッションショーやデザイン展、国際会議などが開かれ、日本から訪れる観光客にも比較的なじみのある場所だ。東京でいえば、展示会場としての東京ビッグサイトに、デザインや文化発信の拠点としての性格を組み合わせたような存在と考えると分かりやすい。技術関係者だけが集まる郊外型の展示場ではなく、市民や観光客が行き交う都心の文化施設で開催することには、スタートアップを一部の専門家だけの世界に閉じ込めないという狙いもにじむ。
「トライ・エブリシング」という名称には、失敗を恐れず、さまざまな可能性を試すという起業家精神が込められている。韓国では中央政府だけでなく、ソウル市をはじめとする自治体も、創業支援施設の整備や海外投資家との接続に力を入れてきた。今回のイベントも単なる技術見本市ではない。技術を持つ企業、資金を提供する投資家、製品を導入できる大企業、海外展開を支援する公的機関を同じ場所に集め、短期間で具体的な交渉へ進ませる「商談のインフラ」として設計されている。
生成AIの次に焦点、「フィジカルAI」とは何か
今回の展示で中心的なキーワードとなるのが「フィジカルAI」だ。日本ではまだ一般に定着した言葉とはいえないが、簡単に言えば、AIが画面の中で文章や画像を作ったり、データを分析したりするだけでなく、ロボットなどの機械を通じて現実の空間を認識し、移動し、作業する技術を指す。生成AIが主にデジタル情報を扱うのに対し、フィジカルAIは工場、物流倉庫、店舗、建設現場、家庭など、物理的な環境で動く点が大きく異なる。
会場では、現代自動車と起亜のロボティクスラボが、移動型ロボットプラットフォーム「モベッド」と、産業用の装着型ロボット「エクスブル・ショルダー」を紹介する。移動型プラットフォームは、人や荷物を運ぶロボットの土台として幅広い用途が想定される。一方、装着型ロボットは、作業者の肩などにかかる負担を軽くし、製造現場での反復作業を補助する技術だ。同じフィジカルAIでも、自律的に動く機械と、人間の身体能力を支える機器では役割が異なる。二つが同じ会場に並ぶことで、応用範囲の広さが見えやすくなる。
韓国のAI産業を考えるうえで、この展示内容は象徴的だ。韓国には自動車、半導体、電池、電子機器、造船など、製造業を軸とした企業基盤がある。AIの基盤モデルそのものを競うだけでなく、既存の工場やモビリティー事業にAIを組み込み、現場の生産性や安全性を高めることができれば、韓国企業の強みを生かしやすい。生成AIブームが一巡し、企業側が「何ができるか」よりも「どれだけ収益や効率改善につながるか」を問う段階に入りつつある今、フィジカルAIが前面に出るのは自然な流れといえる。
AIを企業の成果に変えるには何が必要か
国際会議の基調講演には、米スタンフォード大学のエリック・ブリニョルフソン教授が登壇し、AIが日常的な道具となった時代に企業が成果を生み出すための戦略を示す予定だ。AI企業アンソロピックでアジア太平洋地域のスタートアップ提携を統括するイ・ヨプ氏や、米国のAIユニコーン企業ジェンスパークの共同創業者レイ・ゾン氏も講演する。
ここで重要なのは、AIソフトを導入すること自体が企業の成果を保証するわけではないという点だ。新技術を使うには、業務手順の見直し、人材の再配置、データ管理、責任の所在、現場教育などを一体で変える必要がある。例えば、製造現場にロボットを導入しても、人間の作業者との役割分担が曖昧なら、かえって工程が複雑になる可能性がある。顧客対応に生成AIを使う場合も、誤った回答を誰が確認し、問題が起きた際に誰が責任を負うのかを決めなければならない。AIの性能競争から、組織全体で使いこなす能力の競争へと焦点が移っている。
韓国のスタートアップにとって、世界的な研究者やAI企業の担当者と直接接点を持つ意味は小さくない。韓国国内はデジタルサービスの普及が速く、新技術を試しやすい市場とされる一方、人口規模には限界があり、成長を続けるには早い段階から海外展開を考える必要がある。国際会議で最新の経営論を聞くだけでなく、世界市場で求められる製品設計や提携条件を具体的に確認できるかが、イベントの実効性を左右する。
一対一の面談で技術と資金の距離を縮める
トライ・エブリシングが重視するのは、大勢に向けた華やかな講演だけではない。国内外のベンチャーキャピタルやアクセラレーター、大企業、中堅企業、海外進出支援機関が参加し、スタートアップとの一対一の面談を行う。アクセラレーターとは、創業間もない企業に経営指導や人脈、資金調達の機会などを提供し、短期間で成長を後押しする組織だ。韓国では英語由来の「アクセラレイティング」という表現が起業分野で広く使われている。
新興企業が成長するためには、優れた技術だけでは足りない。試作品を量産する資金、最初の顧客、販売網、法規制に関する知識、海外で信頼できる提携先などが必要になる。これらを個別に探せば、少人数の企業には大きな負担となる。イベント会場で複数の投資家や事業会社、公的機関に会える仕組みは、その探索コストを下げる。特に産業用AIでは、一般消費者向けアプリと異なり、工場や物流施設での実証実験が欠かせない。大企業との面談が、投資だけでなく実証の機会につながる可能性もある。
米国、欧州、アジアの政府や都市、創業支援機関、世界的なベンチャーキャピタルも、海外展開やオープンイノベーションのプログラムに参加する。米ウェストバージニア州のクリスティン・デービス商務省副長官と、エストニアの首都タリンのクリスティアン・ヤルバン副市長も出席し、国際的なイノベーション基盤の方向性を語る。スタートアップの海外進出が、完成品を外国へ輸出するだけではなく、現地政府や大学、投資家、企業のネットワークへ入っていく過程であることを示す顔ぶれだ。
ソウル市によると、前年のイベントには7729人が参加し、1809億ウォンの投資誘致につながった。ウォン建ての金額は為替で円換算が変動するため単純比較には注意が必要だが、来場者数だけでなく、資金調達という事業上の成果を指標にしている点は注目される。今年はAIとフィジカルAIを中心に据え、投資、技術協力、海外進出に関する企画を強化する。展示会で名刺を交換した後、共同開発や実証実験、出資契約がどこまで具体化するかが本当の評価基準となる。
ユニコーン候補を育てる「競争」と「支援」
創業初期の企業に向けては、スタートアップ競争「ソウル・ユニコーン・チャレンジ」が開催される。選抜された7社が10日に最終審査へ臨み、賞金総額は1億2000万ウォン。ソウル市長賞に加え、創業支援拠点「ソウル創業ハブ」への入居につながる機会も用意される。
「ユニコーン」は、企業価値が10億ドル以上で、株式市場に上場していない新興企業を意味する。めったに存在しない企業という意味で、空想上の動物になぞらえて名付けられた。韓国では新産業政策を語る際に頻繁に登場する言葉で、単なる起業件数ではなく、世界市場で大きく成長する企業を生み出せるかが政策目標になっている。ただし、ユニコーンという呼び名は企業価値を基準とするため、安定した収益や社会的な価値と必ず一致するわけではない。投資熱が冷え込めば評価額が下がることもある。
今回の競争で特徴的なのは、賞金だけでなく、仕事をする空間や投資家との接点まで組み合わせている点だ。創業初期の企業にとって、安価な事務所や専門家の助言、他の起業家との交流は、現金と同じくらい重要になる場合がある。行政側も、コンテストを一度開いて終わるのではなく、その後の育成につなげなければ支援の効果を測りにくい。7社が審査後にどのような顧客や投資家を獲得するかは、ソウル市の創業政策を検証する材料にもなる。
日本にとっての意味 製造業AIで競争と協業の両面
この動きは日本にも無関係ではない。日本と韓国はいずれも製造業の比重が大きく、人手不足や高齢化への対応、安全性の向上、生産工程の自動化という共通課題を抱える。装着型ロボットや移動ロボットは、工場だけでなく物流、建設、介護などでも活用が期待される分野だ。日本でも産業用ロボットや自動車、精密機器に強い企業が多く、AIを現実の機械へ組み込む競争では、韓国企業がライバルになる一方、部品供給や共同開発、海外市場での実証では協力相手にもなり得る。
韓国市場への進出を考える日本のスタートアップや投資家にとっては、こうした都市主導のイベントが現地企業や行政機関との入口になる可能性がある。東京や大阪、福岡などでもスタートアップ支援イベントや国際的な商談会は開かれているが、ソウルの特徴は、自治体、大手製造企業、ベンチャー投資家、海外都市、大衆文化を同じ会場に集めようとしている点にある。日本側も来場者数や登壇者の知名度だけでイベントを評価せず、面談から実証実験や投資に進んだ案件数を追う視点が求められる。
もっとも、今回示された情報だけでは、日本企業の出展や具体的な日韓提携案件までは確認できない。そのため、現段階で日本市場への直接的な効果を断定することはできない。ただ、韓国の大企業がフィジカルAIを本格的に事業化すれば、ロボット部品、センサー、素材、半導体、製造装置など、日韓企業が同じ供給網に関わる分野へ影響が広がる可能性はある。イベント後に、日本企業を含む外国企業との共同実証や投資案件が発表されるかが注目点となる。
日本の投資家にとっても、韓国のスタートアップは国内市場だけを見る対象ではない。韓国企業は早い段階から北米や東南アジアを視野に入れる例が多く、海外展開の速度が投資判断の重要な材料になる。一方、日本企業には製造現場の経験や品質管理、顧客基盤がある。韓国側のソフトウェア開発力や意思決定の速さと、日本側の現場技術を結びつけられれば、日韓関係を政治や外交だけでなく、具体的な産業協力の面から捉える機会にもなる。
バーチャルアイドルも参加、技術を市民へ開く工夫
会場には専門家や企業関係者だけでなく、一般市民が参加できる企画も設けられる。ソウル市の広報大使を務めるバーチャルアイドル「PLAVE(プレイブ)」の特別ブースや参加型イベントが予定されている。PLAVEは、デジタル上のキャラクターとして活動しながら、歌やダンス、ファンとの交流を展開するグループだ。日本にも初音ミクなどのバーチャル歌手やVTuber文化があり、デジタルキャラクターを応援する感覚は日本の若い読者にも理解しやすいだろう。
先端技術の展示会に人気のバーチャルアイドルを組み合わせることには、集客以上の意味がある。AIやロボットという言葉に距離を感じる市民でも、音楽やキャラクターを入口に会場を訪れれば、技術が生活や創作活動にどう関わるかを体験できる。韓国の政策イベントでは、K-POPやゲーム、映像などの文化コンテンツを技術産業と結びつける手法がしばしば見られる。エンターテインメントを飾りとして置くのではなく、技術を社会へ浸透させる媒介として使う発想だ。
一方で、親しみやすさだけを強調すると、AIが雇用や個人情報、著作権、安全性に及ぼす影響が見えにくくなる。フィジカルAIは現実空間で動くため、ソフトウェア上の誤りが機械の動作として表れる可能性がある。来場者に未来への期待を伝えると同時に、事故防止、データ保護、人間による監督といった課題をどう説明するかも、公共イベントに求められる役割だ。
次に問われるのは「展示の先」の成果
トライ・エブリシング2026が映し出すのは、韓国のAI産業がチャットサービスや画像生成だけでなく、製造業、移動、作業支援といった現実の産業領域へ重心を広げている姿だ。研究者、スタートアップ、大企業、投資家、海外の都市や支援機関、市民を一つの場所に集めることで、ソウルは自らをアジアの技術と資金の接続点として位置づけようとしている。
ただし、大規模イベントは開催しただけでは成果にならない。ロボットの試作機が工場へ導入されるまでには、耐久性や安全性の検証、費用対効果の確認、労働者との調整、規制への対応が必要だ。投資の合意も、企業価値の評価や契約条件を巡る交渉を経て初めて実行される。前年に示された投資誘致額に続き、今年は何件の共同開発や海外進出、実証実験が成立したのかを継続的に確認する必要がある。
今後の焦点は三つある。第一に、フィジカルAIが展示用のデモを超えて、実際の生産性向上や作業負担の軽減につながるか。第二に、投資資金が一部の注目企業に集中せず、技術を社会実装する企業へ届くか。第三に、海外都市や投資家との面談が、現地拠点の設置や販路開拓へ発展するかだ。AIを「未来を語る技術」から「現場で成果を出す技術」へ変えられるか。ソウルでの2日間は、その転換を占う商談と実験の場になる。
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