「渤海」を朝鮮史に位置づけた柳得恭 身分の壁を越え、歴史の視野を北方へ

「渤海」を朝鮮史に位置づけた柳得恭 身分の壁を越え、歴史の視野を北方へ

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庶孽の制約の中で広げた学問

朝鮮王朝後期の実学者、柳得恭(ユ・ドゥッコン、1748~1807年)は、渤海を高句麗の後継国家と捉えた歴史書『渤海考』の著者として知られる。詩人、官僚として活動する一方、それまで新羅中心だった歴史叙述に異議を唱え、朝鮮史の範囲を北方へ広げた人物だ。

柳得恭は1748年、漢城府、現在のソウルで生まれた。父方、母方の双方に庶子の系譜があり、当時官職への進出が制限された「庶孽」の身分だった。幼くして父を亡くし、母方の実家で暮らした後、漢城に戻った。20歳を過ぎてから実学者の朴趾源(パク・チウォン)に学び、李徳懋(イ・ドンム)、朴斉家(パク・チェガ)らと生涯にわたり交流した。

良い詩を書くには、時代や地域を問わず幅広く文学を読む必要があると考え、『三国志』や『水滸伝』など中国の古典を読み込んだ。入手困難な本は借りて書き写し、繰り返し読んだという。関心は満州、モンゴル、イスラム圏、インド、東南アジア、日本、琉球から英国、フランス、オランダにまで及び、清だけを世界の中心とする見方から離れる契機となった。

奎章閣で出会った国内外の史料

柳得恭は1772年、歴代の朝鮮の詩文をまとめた『東詩萌』を刊行し、1774年には科挙の一段階である司馬試に合格した。しかし庶孽という身分が官職への道を阻んだ。

転機となったのは、正祖が庶孽にも官職への門戸を開いたことだった。文章力と幅広い知識を認められ、1779年に王室図書館・研究機関である奎章閣の検書官に任命された。李徳懋、朴斉家、徐理修(ソ・イス)とともに「奎章閣の四検書」と呼ばれた。

奎章閣では、宮中が所蔵する朝鮮、中国、日本の歴史資料に触れた。多様な記録を読み進める中で、新羅に偏った従来の歴史叙述を批判し、渤海を朝鮮史の体系に組み込むべきだとの問題意識を深めていった。また朴趾源の門人として、実証を重んじる「実事求是」に基づき産業を振興する必要性も説いた。

地方官と旅で積み重ねた経験

正祖の信任を得た柳得恭は、抱川県監、堤川郡守、楊根郡守、加平郡守などの地方官を歴任し、晩年には豊川都護府使にまで進んだ。庶孽に課されていた制約を越えた異例の歩みだった。

1800年に正祖が死去すると官職を退き、隠居生活に入った。開城、平壌、公州など歴代王朝の古都を訪ね、北京にも2度足を運んだ。旅先で見聞した文化や制度は、紀行文、小説、歴史書の執筆につながった。1807年に死去し、現在の京畿道議政府市松山洞にあたる場所に葬られた。

『渤海考』が示した「南北国時代」

柳得恭の最大の業績は、渤海を高句麗の後継国家と位置づけ、新羅と並ぶ朝鮮史の一部として論じた『渤海考』である。渤海を建国した大祚栄の一族が高句麗の遺民であったこと、領土が旧高句麗地域にあり、国家の構成にも高句麗人が加わっていたことなどを継承関係の根拠とした。

三国時代後の歴史を新羅による統一だけで説明する見方にも反論し、新羅と渤海が並存した時期を「南北国時代」と捉えた。『渤海考』の序文では、高麗時代の歴史家が統一新羅を南朝、渤海を北朝とする歴史体系を築かなかったため、旧領を取り戻す名分を失ったと批判した。高句麗の継承を掲げた高麗であれば、渤海を含む南北国史を編纂すべきだったという主張だ。

『渤海考』には渤海の旧領回復を志向する考えも示され、『四郡志』では北方史の源流を探った。今日の研究水準から見れば内容には限界があるものの、渤海を高句麗の後継国家として扱った試みは、渤海史研究の初期を代表する成果と評価されている。後の丁若鏞(チョン・ヤギョン)や韓致奫(ハン・チユン)による研究の土台にもなった。

歴史だけでなく都市風俗も記録

柳得恭は『渤海考』以外にも、『京都雑志』『古芸堂筆記』『四郡志』『二十一都懐古詩』『泠斎集』など多くの著作を残した。なかでも『京都雑志』は、朝鮮時代の都市住民の生活や風俗を知るための貴重な資料とされる。

『二十一都懐古詩』は、檀君朝鮮から高麗まで、朝鮮民族が建てた国々の21の都を43編の詩でたどった作品だ。各都市の建設と繁栄を詠み、歴史の主体としての意識を示した。柳得恭の詩は清の文人からも、才能と気概に富むとの評価を受けた。

柳得恭が現在まで記憶されるのは、詩人や官僚としてだけではない。奎章閣で接した国内外の資料、広い地域への関心、古都を自ら歩いた経験をもとに、従来の歴史叙述から抜け落ちていた渤海を見いだしたからだ。その仕事は、新羅と渤海が並び立った時代を南北国時代として理解する歴史認識の出発点の一つとなった。

Source: Original Korean article - Trendy News Korea

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