ガザ攻撃を支える「仕組み」を問う映画『NAZA』――AIと民間人被害、日本の観客に突きつける問い

ガザ攻撃を支える「仕組み」を問う映画『NAZA』――AIと民間人被害、日本の観客に突きつける問い

記事の理解を助けるための画像

戦場の外から、攻撃の内側を映す

戦争の被害を伝える映像には、崩れた建物や病院に運び込まれる負傷者が映る。しかし、その攻撃が誰の判断で、どのような情報をもとに実行されたのかは、映像だけでは見えてこない。今回提供された韓国語の報道要約が紹介するドキュメンタリー『NAZA』は、パレスチナ自治区ガザで起きていることを、攻撃を支える軍と情報機関の内部から捉えようとする作品だ。

要約によると、監督はイスラエル出身のユバル・アブラハムとレイチェル・ショール。民間人の監視や攻撃に関わったとする軍人、情報機関員ら24人の匿名証言を通じ、人工知能(AI)による標的選定と、その先に生じる住民の死を描く。上映時間は80分。戦闘の現場そのものよりも、情報を集め、対象を分類し、攻撃へとつなぐ過程に焦点を当てている。

ただし、受賞情報の扱いには留保が必要だ。提供要約は「第83回ベネチア国際映画祭で12日、審査員特別賞を受賞」と伝えているが、開催年と月を明記していない。本稿では映画祭の公式記録や作品資料を独立に確認できていないため、受賞、上映、制作経緯に関する記述は、あくまでこの要約が伝える内容として紹介する。作品に収められたとされる証言についても、証言の存在と、その内容が裏付けられた事実であることを区別して読む必要がある。

喝采の長さより、何が明らかになったのか

要約が引用するAFP通信の報道では、『NAZA』は同映画祭のコンペティション部門に出品された唯一のドキュメンタリーで、10日の公式上映後には25分間のスタンディングオベーションが続いたという。一部の批評家やメディアは、最高賞の金獅子賞の有力候補にも挙げていたとされる。

日本でも、カンヌやベネチアでの受賞は、海外作品に関心を持つ大きなきっかけになる。普段はドキュメンタリーを見ない人が映画館へ足を運び、遠い地域の政治や社会を知る入口にもなる。ただ、長い拍手は観客の反応を示すものであって、個々の証言の正確さを保証するものではない。映画としての評価、政治的な共感、取材成果の信頼性は、それぞれ別の物差しで考えるべきだ。

この作品の重要性を見極めるうえで問われるのは、衝撃的な言葉が何度登場するかではない。証言者がどの部署で何を担当し、どこまでを直接知っていたのか。別の証言や文書、攻撃の記録と、どの程度照合されているのか。受賞のニュースから一歩踏み込み、そうした取材の中身を見ることが、作品を単なる「話題作」で終わらせないために欠かせない。

AIが選ぶ標的、その先にいる家族

提供要約によれば、作品の中心にあるのは、イスラエル軍がガザで使ったとされるAIベースの標的選定システムだ。イスラム組織ハマスの下級構成員を特定する目的でシステムを構築し、構成員と推定された人物の自宅を深夜に爆撃したという証言が収められている。

ここで注意したいのは、「AIが戦争をした」という単純な構図ではないことだ。AIが人物を分類することと、その人物を攻撃してよいと判断すること、さらに家族がいる可能性のある住宅を攻撃すると決めることは、それぞれ異なる段階に属する。要約だけでは、システムの精度や人間による確認の手順、最終的な承認権限までは分からない。

証言者の中には、当時の仕事を殺人の「工場」や、人を殺すビデオゲームの中にいるようだったと表現した人がいるという。これは従事者の感覚を伝える言葉であり、軍の公式な業務名称ではない。その比喩が示唆するのは、画面上の情報と、攻撃によって失われる生活との間に生じる距離だ。対象が名前のある一人の人間ではなく、処理すべき項目として扱われる危険が浮かぶ。

日本ではAIというと、文章作成や業務の効率化を思い浮かべる人が多いだろう。だが、効率化する対象が軍事攻撃になれば、処理速度の向上がそのまま望ましい成果を意味するわけではない。誤った判定を誰が止めるのか。判断の理由を後から検証できるのか。人の命に関わる領域では、「便利になった」という説明だけで技術を評価することはできない。

予測された民間人被害をどう判断したのか

要約が伝える証言のうち、とりわけ重大なのは、攻撃対象とされた人物だけでなく、その家族も死亡する可能性をイスラエル側が認識していたという内容だ。作品には、住民がなお暮らす地域の破壊や、救援物資の配給現場での民間人殺害に関する証言も含まれるとされる。ただし、個別の日時、場所、命令系統などの詳細は、提供要約からは確認できない。

『NAZA』という題名は、軍事作戦で死亡すると予想される民間人を指す際にイスラエル軍が使っていた略語に由来するという。略語の原語や厳密な定義は示されておらず、ここではそれ以上の意味を補わない。それでも、人の死が事前に予測され、作戦上の数値として扱われていたという問題提起は重い。

国際人道法では、民間人と戦闘員、民用物と軍事目標を区別することが基本となる。また、予期される具体的かつ直接的な軍事的利益に比べて、付随的な民間人被害が過大となる攻撃は禁止される。被害を避け、可能な限り小さくするための予防措置も必要だ。民間人の死亡を予見していたという事実だけで、個別の攻撃に対する法的評価が自動的に決まるわけではないが、何を把握し、どう判断したのかは検証の核心になる。

一方で、標的とされた人物が実際にハマスの構成員だったのか、どのような役割を担っていたのかも、慎重な確認が必要だ。「AIが構成員と判定した」という説明は、人物の地位を確定する証拠と同じではない。軍事目標の認定、民間人被害の予測、攻撃方法の選択を分けて調べなければ、責任の所在はかえって曖昧になる。

24人の匿名証言――保護と検証の両立

作品は、イスラエル・パレスチナのメディア「+972マガジン」、ヘブライ語メディア「ローカル・コール」、英紙ガーディアンが2023年から2025年に報じた調査報道を土台にしたという。日々のニュースとして公表された内容を、関係者の証言とともに映画へと組み直す試みと位置づけられる。

要約によると、軍関係者らに内部情報を語るよう働きかける過程には3年を要した。証言者の顔と声は身元を守るために加工され、内容も上映直前まで厳重に管理されたとされる。安全保障分野の内部告発では、本人や家族の安全、刑事責任、職場での報復などが問題になり得る。匿名化は、その危険を抑えながら公共性のある情報を伝えるための手段だ。

ただし、匿名であるほど、観客は証言者の経歴や立場を自分で確かめにくくなる。その分、制作側には、本人確認をどのように行ったか、直接体験と伝聞をどう区別したか、相互に独立した情報で確認できたかを、取材源を危険にさらさない範囲で説明することが求められる。24人という人数は取材の広がりを示しても、それだけで全ての主張が裏付けられるわけではない。

日本の読者にとっても、これは行政や企業の内部告発を読む際と共通する問題だ。実名で話せないから信用しない、あるいは内部の人だから全て正しいと考える。そのどちらでも検証は進まない。証言が具体的な記録とどう結びつくか、反証に耐えられるかを見る姿勢が、告発者を守ることと報道の信頼性を保つことの両方につながる。

「自分のしたことを説明してほしい」という問い

アブラハム監督は映画祭期間中の記者会見で、取材相手に求めたのは「あなたがしたことを説明してほしい」ということだけだった、と述べたという。大きな政治的主張への賛否を聞くのではなく、担当した仕事や行動を具体的にたどる。要約から読み取れるのは、そうした聞き取りの方法だ。

監督によれば、証言者には後悔する人も、後悔していない人もいたという。この違いは見逃せない。内部告発を扱う作品では、良心の呵責から真相を明かす人物像を想像しがちだが、関係者が同じ動機で話すとは限らない。自らの行為を正当だったと考える人物の説明からも、組織で共有されていた判断基準や、日常化していた手続きが見えてくることがある。

要約には、ネタニヤフ首相府直属の秘密情報部門で働いていたとされる人物が、自分たちの任務は「平和を妨げること」だったと語ったという記述もある。ただし、部門名や発言の前後関係、具体的な活動は示されていない。政治的に強い意味を持つ表現だけに、その一節から組織全体の正式な任務や政策を断定することはできない。

同様に、「工場」という比喩も、それだけで組織の全体像を説明するものではない。誰が情報を入力し、誰が選別し、誰が承認し、結果を誰が評価したのか。個々人の業務をつなげて初めて、制度としての責任が見えてくる。作品が目指しているとされる「仕組みの告発」は、まさにその接続部分の検証を必要とする。

自国の観客に見てほしいという訴え

提供要約によると、アブラハム監督は授賞式で、映画祭開幕からの10日間にガザで少なくとも6人のパレスチナの子どもがイスラエルによって殺害されたと発言した。この人数は監督の発言として紹介されたもので、要約には集計主体や個別事案の情報がないため、本稿で独立に確認した死者数としては扱わない。

監督はさらに、情報機関の関係者が、大量の殺害がどのように組織的に行われているかを説明したと主張した。偶然ではなく計画に基づき、パレスチナ人を人間として扱わない「非人間化」に根差している、というのが監督の批判だ。これは作品の立場を理解するうえで重要だが、司法機関が認定した結論とは区別される。

そして監督は、イスラエルの人々にこの映画を見てもらうことが、とりわけ重要だと訴えたという。「こうした犯罪を行っているのは私たちの国だから」という発言は、国外の観客から支持を得るだけでなく、自国社会の認識を問おうとする姿勢を示している。

ここで、イスラエル政府や軍の行為を検証することと、イスラエル人全体、あるいはユダヤ人全体に責任を負わせることは、明確に分けなければならない。イスラエル出身の作り手や内部の証言者の存在は、社会の中に異なる立場があることも示す。批判の対象を具体的な政策、命令、行為に定めることは、告発の力を弱めるのではなく、責任追及を正確にする。

日本にとっての意味――映画館とAIの議論をつなぐ

日本との接点として、まず挙げられるのは、ガザをめぐる問題をニュースの見出しとは異なる形で受け止める映画の役割だ。80分というまとまった時間の中で、証言をたどり、判断の積み重ねを見る。作品が日本で上映されれば、日々の短い報道では理解しにくい組織の動きを考える機会になり得る。ただし、提供要約には日本公開、配給会社、配信、国内イベントの情報はなく、公開決定や日本市場での反響を断定することはできない。

制作陣の紹介では、ガーディアンと、JWフィルムズのジェームズ・ウィルソンが制作に参加し、ジョナサン・グレイザー監督が製作総指揮を務めたとされる。グレイザーは、日本では『関心領域』として公開された作品の監督として知られる。アウシュビッツの隣で営まれる日常を描いた同作を見た観客には、暴力に直接触れずに暮らすことと、暴力を支えることの関係が、一つの鑑賞上の接点になるだろう。ただし、二つの歴史的状況や作品の表現を、そのまま同一視するべきではない。

もう一つの接点は、日本でも進むAI利用の議論だ。民間の業務支援と軍事目的の標的選定は、用途も危険の大きさも異なる。それでも、機械の出力を人間が十分に確かめず採用してしまう問題や、複数の担当者を経るうちに責任が見えにくくなる問題は、AIを社会に組み込む際の共通の論点となる。

この作品の要約には、日本企業の技術や製品が当該システムに使われたという情報はない。日本企業の関与を示唆したり、直ちに国内産業への影響を予測したりする根拠もない。日本への意味は現段階では、市場への直接的な打撃というより、技術の用途をどこまで把握し、重大な判断にどのような監督と説明責任を設けるかという問いにある。

韓国メディアが紹介した海外の作品を日本で読むことにも、限定的ながら意味がある。日韓それぞれの読者が、第三の地域で起きる事態をどんな言葉で理解するのかを考える機会になるからだ。ただし、この一つの報道から韓国社会全体の世論や、日本との意識の違いを論じることはできない。国籍で反応を一括りにせず、個々の報道が示す根拠を確認することが先決だ。

調査報道から映画へ、次に確かめるべきこと

今回の要約が描く制作過程で注目したいのは、複数年にわたる調査報道が映画という形に引き継がれている点だ。記事では別々に公表された情報も、一本の作品として構成されることで、組織の動きや証言同士の関係を捉えやすくなる可能性がある。一方、編集によって何を残し、何を省くかは、観客の理解を左右する。映画化は検証の終点ではなく、別の表現手段による提示と考えるのが適切だ。

監督らの経歴についても注意が要る。提供要約は、アブラハムとショールを、2025年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ノー・アザー・ランド』の共同監督と記している。ただし、ショールを含めた役職の記載は、公式クレジットとの照合が必要だ。前作の受賞歴は関心を集める材料にはなっても、新作の個々の主張を裏付ける証拠にはならない。

今後確認すべきなのは、まず映画祭の開催日時、出品、受賞の公式情報と、作品の正式な制作体制である。そのうえで、匿名証言の検証方法、攻撃の記録との対応、イスラエル政府・軍の説明や反論が重要になる。提供要約には政府・軍の応答が含まれていないが、それは実際に応答がなかったことを意味しない。

『NAZA』をめぐる報道が突きつけるのは、新しい技術そのものへの漠然とした恐れではない。人を分類する情報が攻撃の判断へと変わるとき、誰が立ち止まり、誰が責任を負うのかという問いだ。日本の観客に必要なのも、喝采の長さだけで作品を評価することでも、匿名証言だからと退けることでもない。何が語られ、何が裏付けられ、何がまだ分からないのかを見分けながら、画面の向こうにいる人々の生活を考える姿勢である。

Source: Original Korean article - Trendy News Korea

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