「殻は去れ」に刻んだ歴史と現実 韓国の詩人・申東曄、その生涯と作品

「殻は去れ」に刻んだ歴史と現実 韓国の詩人・申東曄、その生涯と作品

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古都・扶余で育った歴史学徒

韓国の詩人、申東曄(シン・ドンヨプ)は1930年8月18日、忠清南道扶余郡扶余邑東南里に生まれた。農家の1男4女の長男で、父は物静かな息子の才能を見抜き、暮らしに余裕がない中でも本や筆を買い与えたという。申東曄は郷土の情緒に歴史意識を重ね、民族的リアリズムを追求した詩人として知られる。

1942年に扶余国民学校を卒業し、国が学費と生活費を支援する全州師範学校へ進んだ。在学中は読書を重ね、アナキズムへの関心を深めた。卒業後の1949年、扶余近郊の小学校に赴任したものの3日で辞め、檀国大学史学科に入学した。父は息子の学業を支えるため、畑を手放した。

1950年に朝鮮戦争が始まると故郷へ戻った。北朝鮮軍が扶余を占領した後、その求めに応じて同年9月末まで地域の民主青年同盟宣伝部長を務めた。共産主義者ではなく無政府主義者だったとされ、社会を変える必要性には共感しながらも、政治そのものへの関心は薄かった。その後、韓国側の国民防衛軍に徴集されたが、組織の解体で1951年に帰郷。途中、飢えをしのぐために食べたカニが原因で肝吸虫に感染した。

古書店での出会い、詩人としての出発

1953年に檀国大学を卒業した後、ソウルの敦岩洞で友人の助けを借りて古書店を開いた。そこで当時、梨花女子高校3年生だった印炳善(イン・ビョンソン)と出会い、1957年に結婚した。

扶余へ戻ると、妻は洋装店を営み、申東曄は1958年に忠清南道の珠山農業高校で教壇に立った。しかし、喀血を伴う肺結核のため退職し、療養しながら読書と執筆に没頭した。1959年、石林(ソクリム)の筆名で書いた長詩「語る耕作者の大地」が朝鮮日報の新春文芸に入選し、本格的な文学活動が始まった。

健康を回復した1960年にはソウルへ移り、月刊誌の出版社に勤務。「学生革命詩集」を編み、李承晩政権を退陣に追い込んだ4・19革命の現場にも加わった。妻は、帰宅した夫の顔が紅潮し、目が澄んで輝いていたことや、全身と靴がほこりまみれだったことを回想している。1961年からは明城女子高校の国語教師となり、亡くなるまで勤めた。

「殻は去れ」と長編叙事詩「錦江」

申東曄は1959年の「ツツジの山河」「新しく開かれる土地」をはじめ、歴史と同時代の現実を見据えた作品を相次いで発表した。1963年には最初の詩集「阿斯女」を刊行。1967年、合同詩集「52人詩集」に代表作「殻は去れ」など7編を収めた。

「殻は去れ」は、民主勢力内部の機会主義を批判し、統一への願いをうたった作品だ。「殻は去れ。/四月も中身だけを残し/殻は去れ」と呼びかけ、1894年の東学農民運動や韓国の伝承に登場する阿斯達・阿斯女を想起させながら、最後には朝鮮半島にある「すべての鉄のもの」が去るよう願った。発表直後に販売禁止となったが、1970年代には民主化を象徴する詩として受け止められた。

同じ1967年に発表した長編叙事詩「錦江」は、東学農民運動を題材にした物語詩である。過去の事件を再現するだけでなく、歴史を通して当時の社会を照らした作品と評価され、申東曄の文学界での地位を大きく高めた。韓国民族文化大百科事典は、1950年代のモダニズムとは距離を置き、土着的な情緒と歴史意識を結びつけた民族的リアリズムが、その詩の特徴だと説明している。

このほか「四月は耕し返す月」「私たちが見た空」などの詩や、「詩人精神論」「詩と思想性」といった評論を残した。詩劇「その唇に刻まれた影」は1966年に国立劇場で上演され、オペレッタ「釈迦塔」も1968年に舞台化された。統一を願った「酒を飲んで眠った昨夜は」は遺作となった。

39歳で死去、故郷に残る文学の記憶

申東曄は肝臓がんの悪化により、1969年4月7日に死去した。妻と2男1女が残された。印炳善は出版社などで働いて家族を支える一方、夫の直筆原稿を集めて刊行に尽力した。1975年に「申東曄全集」、1979年に「誰が空を見たというのか」が出版され、1989年には「山に丘に」が中学3年の教科書に掲載された。

1970年には故郷・扶余の錦江沿いに「山に丘に」を刻んだ詩碑が建てられ、その後、母校などにも設置された。1982年には申東曄創作基金が設けられ、毎年、申東曄文学賞が授与されるようになった。

遺族と文学者らは1985年に扶余の生家を復元。息子の申禹燮(シン・ウソプ)は2003年、永久保存のため生家を扶余郡に寄贈した。郡はその裏手に延べ床面積800平方メートルの申東曄文学館を建設し、2013年に開館した。申東曄には2003年、韓国の文化勲章である銀冠文化勲章が追贈されている。短い生涯の中で歴史と現実を詩に刻んだ申東曄の足跡は、作品や文学賞、故郷の記念施設を通じて今も受け継がれている。

Source: Original Korean article - Trendy News Korea

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