朝鮮農村の暮らしを113巻に集大成 実学者・徐有榘が描いた「豊かな国」

朝鮮農村の暮らしを113巻に集大成 実学者・徐有榘が描いた「豊かな国」

記事の理解を助けるための画像

家学の農学を受け継いだ官僚

朝鮮王朝後期の文官で実学者、農政家でもあった徐有榘(ソ・ユグ、1764~1845年)は、農業から食、住まい、医療、地域経済まで、農村生活に必要な知識を全113巻の『林園経済志』にまとめた人物だ。祖父は大提学を務めた徐命膺、父は吏曹判書の徐浩修で、代々蓄積された農学を受け継いだ。

1790年に科挙に合格し、中央と地方の官職を歴任した。順昌郡守だった35歳の時、正祖が農書を求めたことを受け、各道に農学者を置いて地域ごとの農業技術を調査し、中央で全国規模の農書にまとめる構想を提案した。実現には至らなかったが、家学として学んできた農業知識を体系化する契機になった。

30年以上かけた農村生活の百科事典

正祖の死後、親族が反逆事件に巻き込まれて政界で立場を失うと、徐有榘も1806年に官職を辞して故郷へ戻った。そこで洪万選の『山林経済』を土台に、農村の生活と生産に関する知識の集大成に取り組んだ。

父の『海東農書』や祖父の著作をはじめ、朝鮮と中国の文献約800種を参照し、息子の徐宇輔の助けも得ながら30年以上を編纂に費やした。還暦で官界に復帰した後は全羅道観察使や義州府尹、六曹の判書、大提学などの要職を歴任し、退官後に『林園経済志』を完成させた。ただ、資金不足のため生前には出版できなかった。

飢饉の現場で農政を実践

1834年、全羅道観察使として湖南地方を巡察した徐有榘は、凶作に苦しむ農民の姿を目の当たりにした。日本へ向かう使節にサツマイモの種を入手するよう頼み、各地に配って栽培を奨励した。

普及を実効性のあるものにするため、朝鮮の既存のサツマイモ農書に加え、中国や日本の関連文献も調べて『種藷譜』を著し、各地に広めた。農業政策を論じた『経界策』などでも、繰り返し農法の改革を訴えた。

農業、料理、医療から市場の開催日まで

『林園経済志』は全113巻、約2万8000項目、252万字からなる百科事典で、16部門に分けて朝鮮の農村生活を記録した。文章だけでなく図も多く収め、各地の市場が開かれる日まで記している。

内容は土地制度、水利、土壌、農業気象、開墾、肥料、種子、穀物栽培、災害対策、農具といった農業の基礎に始まり、山菜、海藻、野菜、薬草、花、果樹の栽培法にも及ぶ。養蚕や織物、染色、家畜の飼育と治療、狩猟、漁業についても詳しい。

さらに、食品の薬学的な性質、料理や調味料、酒の製法、建築技術、度量衡、衣服、室内装飾、交通手段を扱った。食事療法や育児、季節ごとの養生、医薬、飢饉をしのぐ方法も整理し、救荒食となる食品を260種紹介している。冠婚葬祭、読書法、士大夫の教養と趣味、朝鮮の地理、家計の節約、貿易、財産管理まで含み、農村で暮らす人の一年を再現できるほどの生活資料となった。

暮らしに役立つ知識を重視

徐有榘は、学問を抽象的な議論にとどめず、民衆の生活に役立てることを重視した。現実から離れた性理学の議論を「土で煮た汁と紙で作った餅」にたとえて批判したという。

制度改革を通じて国のあり方を追究した丁若鏞と対比するなら、徐有榘は『林園経済志』を通じ、人々がより豊かに暮らせる国を構想した実学者と評価される。1930年代から同書の価値が注目されたものの、膨大な分量と難解な漢文が翻訳の壁となった。2008年には林園経済研究所が設立されて本格的な翻訳が始まり、2015年発足の楓石文化財団も翻訳支援や学術大会、料理研究などを続けている。

Source: Original Korean article - Trendy News Korea

コメント