臨時政府の憲法起草から国会議長へ――独立運動家・申翼熙の光と影

臨時政府の憲法起草から国会議長へ――独立運動家・申翼熙の光と影

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早稲田留学を経て教育者に

申翼熙(シン・イクヒ、号・海公)は1894年、京畿道広州に生まれた。幼少期に漢学を学び、漢城外国語学校を卒業後、日本の早稲田大学政治経済学部に留学した。日本では朝鮮人留学生の活動に加わり、機関誌『学之光』の発行を主導した。

帰国後は中東学校や普成法律高等学校で教壇に立ち、比較憲法、国際公法、財政学などを講じた。難しい内容を平易に説明する講義は人気を集めたとされる。故郷では講習所を開き、地域の啓蒙活動にも取り組んだ。

三・一運動を機に上海へ

米大統領ウィルソンが民族自決を唱えると、申翼熙は独立運動に本格的に身を投じた。満州、北京、上海の活動家と連絡を取り、朝鮮国内でも独立運動の進め方を協議した。1919年の三・一運動では海外との連絡を担い、独立宣言書を印刷してソウル市内に配布させた。

関与が発覚して指名手配されると、教職を辞して日本警察の追跡を逃れ、上海へ亡命した。フランス租界の独立臨時事務所で臨時政府の組織づくりに加わり、同年4月に発足した大韓民国臨時政府では臨時議政院議員に選ばれた。議政院法や大韓民国臨時憲法の起草にも関与し、閣僚の多くが上海に到着していなかった発足当初には、各部門の次官級幹部らと実務を支えた。

行政を担い、武装闘争も模索

臨時政府では内務次官を皮切りに、法務、外務、文教などの要職を歴任した。政府の存続を巡って独立運動勢力が分裂した際には、金九(キム・グ)らとともに臨時政府を維持する立場を取った。

一方、独立には軍事行動が欠かせないと考え、中国国民党軍との連携を模索した。中国軍で中将や師団参謀長として活動し、朝鮮、中国、ロシアの青年による特殊部隊の編成も進めたが、大きな成果にはつながらなかった。中国側から武器資金を得るためアヘン販売への関与を求められた際には、人々を苦しめるアヘンを扱うことは朝鮮の革命家への侮辱だとして拒み、軍を離れた。

1930年代には抗日勢力の連携組織や民族革命党の結成に参加し、その後も複数の運動団体で活動した。1940年代には再び臨時政府の閣僚となり、内務部長などを務めた。日本の敗戦後は臨時政府要人の帰国を中国政府や在中米軍当局と交渉したが、臨時政府が連合国側の参戦国政府として認められなかったため、要人らは個人資格で帰国した。

単独政府を支持、国会議長に

1945年12月に帰国した申翼熙は、独立運動期の同志だった金九らと次第に異なる道を歩み、李承晩(イ・スンマン)に接近した。南朝鮮過渡立法議院の議員、議長を務め、金九と金奎植(キム・ギュシク)が進めた南北協商には反対し、朝鮮半島南部での単独政府樹立を支持した。

この時期の活動には暗い側面もある。申翼熙が率いた政治工作隊などは1946年、北朝鮮指導部を狙う爆弾攻撃を計画し、平壌の三・一節行事会場や要人宅を攻撃した。同年には部隊を動員して米軍政庁の政府庁舎を接収する計画も立てたが、情報が米軍の防諜機関に渡り失敗した。米軍政トップのジョン・ホッジからは、再び行動を起こせば射殺もあり得ると警告された。

1948年5月の制憲国会議員選挙で当選し、初代国会副議長に就任した。国会議長だった李承晩が大統領になると、その後任の議長に選ばれ、第2代国会でも議長を務めた。当初は李承晩に近い政党を結成したが、政府樹立後に決別。1954年には、李承晩の長期政権に道を開いた「四捨五入改憲」に反対し、翌年、張勉(チャン・ミョン)らと民主党を結成して代表最高委員となった。

国民大学を創設、大統領選の途上で急死

申翼熙は帰国直後から大学設立を進め、1946年に米軍政庁の認可を受けて国民大学館を開いた。当初は成人向けの夜間大学として運営され、後に昼間課程も設けられた。申翼熙は設立者、理事長、初代学長を兼ね、民族学を教えた。この教育機関が現在の国民大学校につながっている。

1956年には民主党の第3代大統領候補となった。進歩党候補の曺奉岩(チョ・ボンアム)と候補一本化を協議し、曺が辞退して申翼熙を支持する合意がまとまったものの、公表前に悲劇が起きた。

申翼熙は5月5日、張勉とともに湖南線の列車で遊説先へ向かう途中に倒れ、病院へ運ばれたが死去した。死因は心臓まひで、正確な死亡場所は分かっていない。大統領選では申翼熙を追悼する無効票が約185万票に上った。

死後、ソウルの牛耳洞に埋葬され、1962年に建国功労勲章大韓民国章が追贈された。臨時政府の法制度づくりから韓国の議会政治、大学教育まで幅広い足跡を残した一方、政治路線をたびたび変えたとの批判も受けた人物だった。政治家の李哲承(イ・チョルスン)は、現実的な柔軟性を持つ自由主義政治家と評価しつつ、その中道路線ゆえに臆測や誤解を招いたと指摘している。

Source: Original Korean article - Trendy News Korea

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